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最高裁判所第一小法廷 平成4年(あ)175号 決定 1992年5月08日

国籍

大韓民国(慶尚北道達城郡玉浦面盤松洞八〇九番地の二)

住居

神戸市長田区上池田四丁目一番一号

靴製造業

陳永述

一九二二年六月九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年一月二一日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人土井平一、同藤本尚道の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 橋元四郎平 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達)

平成四年(あ)第一七五号

○ 上告趣意書

被告人 田中茂雄こと陳永述

右被告人に対する所得税法違反被告事件についての上告の趣意は左記のとおりである。

平成四年四月八日

右弁護人 土井平一

同 藤本尚道

最高裁判所第一小法廷 御中

原判決は、被告人を懲役一年二月(執行猶予三年)及び罰金三、五〇〇万円(労役場留置・日額金二〇万円)に処することとした第一審判決を支持し、被告人の控訴を棄却したものであるところ、この刑の量定は甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認める事由がある。

一、被告人は、在日韓国人であるが故に受ける理不尽かつ厳しい差別の中で若年の頃から妻とともにゴム靴の製造業を営み、戦後日本の混乱期を乗り切ってきたものであって、その間の努力は筆舌に尽くしがたい。殊にゴム業界は在日韓国人による経営参画が多いため過当競争の面もあり、好景気であった一時期を除き業界全体が低迷している状況にあって、これの営業継続にはかなりの困難が伴うとともに、受取手形の不渡事故・売掛金の踏み倒し・売掛先の倒産といった経営危機に瀕するような事態にも幾度となく被告人は遭遇してきた。

そんな中で被告人はパチンコ業界への参入にあたり何の知識・ノウハウもないままに、ゴム工場の立退をきっかけにして警察署に飛び込み保安担当者から教えを乞い、昭和五八年にようやくパチンコの商売を始めたのである。しかも何処の駅前にもパチンコ店が並ぶという過当競争の中で生き残るには、出玉率を高めて顧客サービスに努める必要があるため、売上高(貸玉額)の増加が必ずしも利益の増加に直結しないという事情があるとともに、他店との間の競争力を増すためにパチンコ台の新機種導入や内装のやり替えといった設備投資を短いサイクルで行っていかねばならない特殊性がある。そのため、世間で考えられている程パチンコ業界で生き抜くことは容易でない。

二、被告人の家族関係をみるに、長男が乳幼児当時の病気(高熱)の際における投薬を原因として幼少時以来両耳とも感音性難聴(99dbの聴力損失で、聴力が全く失われた状態である)の状況にあり、学業の意欲も能力もありながらせっかく進学した神戸大学における学業継続を中途で諦めざるを得ない状況に追い込まれた事情があるとともに、聴力が全くないため他人とのコミュニケーションが難しく、通常の社会生活を営むことも困難であるという事情がある(三六歳の現在も独身である)。この長男の身の上に関しては被告人及び妻にとって常に心配の種であり、また現在のところ長男が被告人のパチンコ業を手伝うしか生きていく道のないことが、被告人をして本件脱税に至らせた大きな動機のひとつとなっている。

殊に、被告人は在日韓国人であり、理不尽かつ厳しい差別の中で戦後日本の混乱期を乗り切ってきた経緯があるため、いざというときに頼れるものが金銭しかないという実感が深く浸透しすぎ、金銭に対する執着心は我々の想像を越えるものがあった。

被告人は長男の将来のことや自分達夫婦の老後のことを考え過ぎて金銭に深く執着し、本件脱税を敢行したものであって、納税義務の重大性に心が及ばず、遵法精神に欠けていたとのご指摘を受けてもやむを得ないところであるが、今回、被告人自身も骨身にしみて反省し、後悔の念を深くしているところであって、二度と同じ過ちを繰り返すことなく、今後どのように歩んでいくことが真のあるべき姿かをじっくりと考えた上で人生を建て直していくつもりである。

三、ところで、被告人の本件脱税の手口を見るに、売上高の一部を除外するという極めて単純な手口であり、『赤字申告』をするとかえって税務当局に睨まれて税務調査を招いてしまう事実についても思い至らず、総じて脱税の手口は単純かつ稚拙であって、複雑な手口をもって税務当局を攪乱し脱税の発覚を困難にするような『悪質さ』は全く見られない。

尚、被告人が『赤字申告』をした事実について付言するに、被告人がパチンコ業界に参入した当初、実際に被告人のゴム靴製造の仕事の方では大きな損失(赤字)を受けていたもので、両事業の損益通算によって最終的に『赤字決算』となってしまったものであって、申告の段階で故意に『赤字になるよう操作』をしたわけではない。この点は申告段階における手続きをすべて税理士に依頼してチェックを受けていた事実からも明らかである。

四、また、被告人自身はみるべき前科・前歴もなく、極めて円満な性格であり、家庭生活においても円満に過ごしているところであって、また、本件に関しては既に税務当局の指示どおりの修正申告手続きを了するとともにすべての納税義務の履行を終えている。

さらに被告人の本件脱税事件が新聞報道されたことにより、被告人のみならず被告人の家族並びに親族一同までが既に大きな社会的制裁を受けている。

殊に、被告人が本件に関連して、修正申告のうえ完納した納税額は、本税として金一億三、〇六五万六、九〇〇円、加算税、延滞税として金六、二〇四万一、四〇〇円である(さらに、昭和六一年分の加算税・延滞税として金二、七六〇万七、五〇〇円を完納している)。

五、かように、被告人は社会的にも経済的に既に大きな制裁を受けているところであって、しかも本件被告事件での有罪が確定すると、風俗営業法の規定によって被告人が個人の資格においてパチンコ業を継続することが出来なくなる(営業許可が取り消される)ことに鑑みれば、被告人自身が経済的な基盤を失うことになるのであるから、これに加えて被告人をさらに罰金三、五〇〇万円に処するのは余りに酷である。

また、懲役刑に関する執行猶予には何らの不服もないが、前記の各情状を斟酌されるならば一年二月の量刑判断もまた重きに失すると思料されるところである。

六、以上の次第であるから、原判決の量刑は極めて不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に不当と思料するので、これを破棄のうえ適正なる量刑判断を賜りたく上告に及ぶ。

以上

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